親であっても踏み込んではならない領域がある

世の中には どうにかしたくても、どうにもならないことがあります。
天気、災害、交通(渋滞とか)、高嶺の花 ・・・
最後には「しかたないよね」とあきらめますね。受け入れざるを得ませんね。

けれども、目先のこと、目の前にいる相手、手の届く相手には、どうにかしようとしませんか?
何とか変えたい、変わってほしい、やきもきしながら伸ばしてるそれ、心の触手です。

情によるつながりが深まれば深まるほど、相手のことを何とかしたくなりますね。

 

どうにかしようとして まあ、どうにかできてきたのがこれまで。
どうにかできなくなってやきもきするのが、思春期から。

 

私たちは心の中に 他者に踏み込まれたくない部分を持っています。

心理的な「領域・テリトリー」のことです。

小さい頃は、子どもは親の領域の中にいたので、親は割とたやすく触手を伸ばせていました。
子ども自身も、親とはこんなものだと思っていました。

どんな触手かは、前の記事の「投影」を参照してください。

思春期になって、子どもが自分の領域をつくり始める時期になると
子どもは他者との「境界線」を意識し始めます。

子どもは境界線を意識しますが、親自身は子どもの頃の感覚のままでいます。

ですからいつものように子どもに触れられると思っています。


しかしこれまでのやり方が通用しなくなり、
焦って、不安になって、境界線を越えて、子どもに触れようとします。


境界線を意識し始めた子には、境界を越えて伸びてくる親の意識が
脅威に感じるんですね。

自分の領域を守るために反発します。

境界線では、常に親と子の反発が起こります。
領域を侵される脅威と 領域を守らなければ、という緊張状態が続くわけです。

気が休まる時間がありません。
子どもの精神状態にとっていいわけがありません。

「さなぎの中に入った子どもを、安易に侵さない」ということが

いかに大切かということがわかってもらえたでしょうか。